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今回は太宰治の「ダス・ゲマイネ」です。
ダス・ゲマイネはドイツ語で通俗性とか卑俗性、という意味だそうです。
なお、題名の由来については、
青森の方言で「んだすけ、まいね」=それだからダメなんだ、からきているという説もあるみたいです。
ただ、んだすけは南部弁で、まいねは津軽弁なので、ちょっとあやしいらしい。
詳しくはウィッキーさん見てください。→こちら

作品の内容は、というと、

周りから「佐野次郎」と呼ばれている25歳の青年がいる。
大学を留年、花街に好きな人がいて、無理心中とまで思いつめたがダメになってしまった。
ある甘酒屋にこの人に似ている菊ちゃんという少女がいて、時々通っている。
そこで、馬場数馬という青年に出会った。
音楽学校に八年いて、バイオリンを弾いているらしいのだが、バイオリンケースの中にバイオリンはない。
馬場は、佐野次郎に雑誌を作ろうと持ちかける。
自分の知り合いの絵描きに声をかけるといい、出会ったのが佐竹。
だが、この佐竹は佐野次郎に馬場は嘘つきだから気をつけろという。
その後、馬場は、佐野次郎の家を訪れる。小説家・太宰治を連れて。
だが、この時の話し合いで雑誌の話はお流れになる。
その後、おでんやで佐野次郎と馬場が飲む。
「ぼくは菊ちゃんだけが好きなんだ」という佐野次郎。
そして、おでん屋を出てふらふら歩いていた佐野次郎は・・・。


なんだか、だまし絵のような印象を持つ作品でした。
まず、「無理心中」・・・この一言で、私は最初、佐野次郎=太宰治だと思って読んでしまいました。
そうしたら、あとから太宰出てくるし・・・おやおやおや~って感じ。
馬場の言うことは、どれが本当でどれが嘘か、いやむしろ全部嘘だろって感じで、まるで信用できない。
だけど、読んでいくと、
「もしかして、自分も、バイオリンケースの中がからっぽな、バイオリン奏者みたいな人間かもしれない」
という気持ちになってきて、思わず「うわああ!!」と叫びたくなります。

多分、いろんな解説を読みたくなると思います。
でも、おそらく、それをもって、「そうか! これはそういう作品なのか!」とわかった気になるのは、大変危険なのでは、と思います。
思いっきりだまされて、思いっきりもやもやしながら、自分の中での消化を待つ・・・多分、そうあるべき作品なのでは? そう思います。

そういう自分も、「どういうこと~?」って解説サイト、読んじゃったんですけど。
ネットが普及して、消化しきれないもやもやを、あえて自分の中に持ちながら、自力で解消する、というのが苦手になっているかも、と、自己反省。
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4月29日のEnjoy Simple Englishは、シャーロックホームズ「サセックスの吸血鬼」の後編でした。

ファーガソン夫人と対面することになったホームズとワトソン。
ホームズはいう。
「私は吸血鬼なんてありえないと思っている。でも、夫人の唇には赤ちゃんの血がついていた。さて、他の理由はないだろうか。例えば、誰かの体に毒が入った時に、それを吸いだすとか」
「毒だって!?」
「そう。壁の武器を見たよ。小さな鳥をうつための弓矢のケースがあったが、中は空だった。弓矢は普通、毒を使用する。だから、もし、子どもが弓で傷つけられたら、死んでしまうだろう。助かるには、すぐに毒を吸いだすしかない。そして、犬は、毒がちゃんと働くか確かめるために使われたのだ。もうわかっただろう? 君の子は、毒矢で傷つけられ、君の奥さんが毒を吸いだして助けたのだ。でも、君の奥さんは、それを言わなかった。君を、傷つけないために」
「ぼくのために?」
「そう。奥さんは、君が上の子、ジャックを愛していると知っているからね」
「ジャックがやったっていうのか!?」
「残念ながらそうだよ。ジャックは赤ちゃんにひどく嫉妬をしていた。赤ちゃんの背中は、ジャックのように悪くない、だから、ジャックは、赤ちゃんの方がより愛されるのではと思ったのだろう。君が赤ちゃんを抱いていた時、ジャックはとても辛そうだった。窓を鏡代わりにして、私は見ていたのだよ」

・・・(以下略)・・・


・・・というわけで、奥さんは吸血鬼ではなく、毒を吸いだして自分の子を守っていたのでした。
Jack looked very unhappy.(ジャックはとても不幸に見えた)
ここをどう日本語にするか、迷いました。
多分、悲しみと憎しみと怒りと、そんなものがないまぜになったような顔をしていたのだろう、と、思うのですが、それを一言で日本語にするのは難しく・・・かといって、直訳の「とても不幸」というのもなんだか乱暴だなと思い、「とても辛そうだった」にしたのですが、合っているのかどうかは自信ないです。
2022.05.20 三匹のこぶた
4月28日のEnjoy Simple Englishは、三匹のこぶた、でした。

お母さんブタに自分たちの家を作りなさい、と言われたこぶたの兄弟。
一番上のお兄ちゃんはわらで、二番目のお兄ちゃんは木で、末っ子はレンガで家を作った。
そして、オオカミがわらの家へやってきた。
「中へ入れてくれ」
「やだよ。絶対入れるもんか」
するとオオカミは家を吹きとばし、お兄ちゃんブタを食べた。
次にオオカミは木の家へやってきた。
「中へ入れてくれ」
「やだよ。絶対入れるもんか」
するとオオカミは家をふきとばし、二番目のお兄ちゃんも食べてしまった。
レンガの家へもやってきたが、吹き飛ばせない。そこで、オオカミは別の方法を考えた。
「こぶたちゃんよ、おいしいカブがあるから一緒にとりに行こうよ。明日の朝六時にね」
次の朝、こぶたは五時にカブ畑にいき、オオカミが来る前に帰った。
オオカミは怒ったが、こう言った。
「すばらしいリンゴの木を知っているんだ。明日五時に一緒に行こう」
次の朝、こぶたは四時にリンゴの木をおとずれた。
オオカミは怒ったが、次はこう言った。
「お祭りがあるんだ。一緒に行こう。今日の午後、四時に来るよ」
こぶたは二時にお祭りに行ってしまった。
オオカミは今や本気で怒り、言った。
「こぶたよ。お前を食うために、煙突から下りてやる!」
こぶたは大きな鍋にお湯をわかし、待った。
オオカミが煙突から下りると、鍋の中にぽしゃん! その夜、こぶたはオオカミのスープを食べ、その後はレンガの家で幸せに暮らしたとさ。

・・・・・・・・・・ええっと、ツッコミどころがありすぎて、どこからツッコんでいいかわからないんですが・・・・・・・・。

三匹目のこぶたをオオカミが何度も誘って、そのたびにこぶたが先に行ってしまってオオカミをすっぽかすのを読んで、
太宰治の「カチカチ山」を思い出しました。

太宰版:カチカチ山では、タヌキは中年のおやじで、ウサギは16歳の処女で、潔癖な処女におやじが振り回されているっていう設定なんですけど、これもそれに近いような気がしました。

(以下、私の解釈)

かわいいかわいいこぶたちゃん・20歳キャバクラ嬢、に入れあげてしまったオオカミ・中年おやじが、手をかえ品をかえ、あれこれ誘うんだけど、キャバ嬢の方がその誘いを受けるように見せかけてひらっとかわしまくって、最後には中年オヤジが身ぐるみはがされてしまった・・・そんな風に見えてくるんですけど。

気のせいかな?
4月27日のEnjoy Simple Englishは、「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンでした。

レイチェル・カーソンは1907年、アメリカで生まれた。子どもの時から、自然が好きで、書くことが好きだった。大学で動物学を学び、アメリカ政府でパートタイム勤務、海についてのラジオ番組のライターでもあった。海についての本も三冊出した。
1958年、友だちから手紙が届く。
「家の近くの鳥たちが死んでいる。殺虫剤・DDTが、虫だけでなく、鳥も殺しているのではないか」
カール損はこのことについて、もっと知ろうとした。そして、海についてかくのをやめ、DDTについて書くことを決意する。
「化学薬品のことを、われわれはあまり知らない。もし、すべてにDDTを噴射したら、植物も動物も人間にも問題が起こるかもしれない」
四年以上の研究を経て、「沈黙の春」が出版された。
多くの人がこれを読み、強い反応を示した。
書いたことに感謝する人々もいたが、逆に、怒る人もいた。とりわけ、大きな化学薬品の会社の人々は・・・。
でも、カーソンは言った。
「人間は自然の一部だ。だから、自然を傷つければ、人間を傷つけることにもなるだろう」
カーソンは「沈黙の春」を出版した二年後、がんで亡くなった。だが、彼女の物語は終わらなかった。彼女の本を読んだ人たちが行動をおこし、そして、1972年以降、DDTはアメリカでは販売できなくなった。
「沈黙の春」が出版されたのは1960年代だが、カーソンの美しい文章と自然への愛は、今もなお、世界中の人々に影響を与えている。

というような内容でした。

人間は自然の一部であり、だから、自然を傷つけるということは、すなわち、自分を傷つけることでもあるのだ、というのは、共感します。本当にその通りだと思います。
でもねえ・・・正直、今の、「地球にやさしく」とか「エコ」とかいうのは、なんか、ちょっと、違うんじゃないかなあ、って思うんですよ。特に、「地球にやさしく」って、どれだけ人間、上から目線なんだよ、と。地球に住ませていただいてます、ありがとうございますだろ、って、個人的には思うんですよ。
そして、自然エネルギーがエコとか言っているの・・・太陽光発電のために、禿山になってしまった山を見ると、「これ、本当に環境にいいの? 土砂崩れとか起きない?」って心配になるんですよね。
まあ、原発がいいとは正直思えないし、かといって火力でCO2バンバン出すのはちょっと・・・っていうのもわかるんですけど。

個人的には、一人一人が「足るを知る」という意識を持ち、できることをする、が一番なんじゃないかなあ、と、思うんですよね。
そのためにも、レイチェルさんの言葉「人間は自然の一部である」をちゃんと心に刻みたいものです。
4月26日のEnjoy Simple Englishは、「火山はいつ噴火するの?」でした。

小笠原の海底火山噴火の新聞記事を読んでいたお母さんが、富士山も噴火するって聞いた、と話す。気になったマリーは、科学博物館へ行き、詳しい話を聞く。
富士山は300年前に噴火したのが最後だけれど、活火山なので油断はできない、と、係の人が言う。
そして、富士山が噴火すると、空気の流れで、関東にまで火山灰が飛んでくるとのこと。
0.5ミリ灰が積もれば電車が動かなくなり、
1ミリ積もれば道路の車線が見えなくなり、
3ミリ積もるとライフライン(電気や水道)が止まる、と言われているとのこと。
ちなみに、江戸時代に噴火した時は、東京ドームの565倍の火山灰がふったらしい。
なお、火山は太平洋沿いにたくさんあって(環太平洋火山帯)、世界の80%の火山がここに集まっているそうな。日本はそのど真ん中にあるので、火山も多いとのこと。
ちなみに環太平洋火山帯は英語でthe Ring of Fire・・・火の輪というそうな。

私が子どもの頃は、富士山は「休火山」と言っていました。
でも、いつからか忘れましたが、休火山っていう名称そのものがなくなったんですよね。
数百年なんていうのは、地学的には「つい最近」になるからだと聞いた気がします。(あくまでも私の記憶です。ちゃんと調べてません。すみません)
まあ、地球の歴史45億年からみたら、数百年なんて、昨日、みたいなものですからねえ・・・いや、数時間前どころか、数分前、レベルでしょうね。
子どもの頃、読んでいた雑誌に、「富士山は噴火するのか」みたいな特集があって、そこに、「198×年、秋に・・・」って予言? みたいなのがあったのを覚えています。私、ずっと、秋になるたび、「そういえば、富士山が・・・」って思い出していました。1989年まで、ちゃんと、思い出していました(笑)。あれから三十年以上・・・ネットや携帯電話が必須になった現在、富士山が噴火したら、198×年以上の被害になることが予想されます。
自然のことなので、「噴火するな!」とは言えませんが、せめて、十分に対策がとれるくらい前に、しっかり予報ができる世の中になって、最小限の被害であってほしいと願います。