(うっひゃあ、大きなお屋敷だなぁ)
透は車の後部座席の真ん中で、固くなっていた。
こんな立派な車に乗るのも初めてなら、こんな大きなお屋敷に入るのも初めてだ。
グレーのブレザーの襟が、首にあたってちくちくする。
なんだか、とっても居心地が悪い。
透はぎゅっと手に持った筒をにぎった。この中に、瑠璃へのプレゼントが入っている。伯父が用意してくれた筒に、お菓子の箱についていたリボンをかけた。別荘の居間では、金色のリボンがとっても立派に見えたが、今はなんだかみすぼらしく感じる。
「さあ、ついたぞ」
透の隣では、主人である秀彦がにこやかに笑いながら、あの木は何だとか、あの彫刻は誰のものだとか説明している。なんだか、自慢されているみたいだな、と、透は思った。
(おじさん、大人気ないよ……)
心の奥でそっとあっかんべをして、大きな玄関をくぐった。
「透!」
瑠璃がかけよってきた。
「瑠璃ちゃん……お、お誕生日おめでとう」
ピンクのドレスにばら色の頬の瑠璃は、別荘で会った時よりも可愛く見えて、透はどきどきした。
「ね、どう? 似合う?」
瑠璃はくるっと一回転して見せた。
「うん。お姫様みたいだ」
「ありがとう。透も素敵よ」
「ぼくは……」
全然ダメだよ、首がちくちくして、こんな服、好きじゃないよ……心の中でそっとつぶやく。
「来て! こっちよ」
瑠璃は透の手を引いた。
間違いなく瑠璃の手なのに、なんだか知らない女の子みたいな気がして、透の心にぽつんと一つ、波が立った。
☆
客を集めた広間では、大人たちが談笑していた。
手にワインやシャンパンを持ち、上品に出されたご馳走を食べている。
透は、1人、ただもじもじしていた。
おいしそうな料理が並んでいるけれど、なんだか食べる気がしない。
隣のおばさんの笑い声は耳障りだし、向かいのおじさんのかつらがずれているのも気になる。
何より、瑠璃が遠かった。
いや、席の位置としては遠くはないのだが、大人に囲まれても平然と笑いながら、上手にナイフとフォークを使ってご馳走を食べている瑠璃は、透の知っている瑠璃ではなかった。
透は、筒をにぎりしめた。
本当はおめでとうといって渡すつもりだったプレゼント。
だけど、先ほどから瑠璃に渡されるプレゼントの山を見たら、気後れして出せなかった。
大人たちが、デパートの包装紙に包まれた大きなプレゼントを瑠璃に渡す。
瑠璃は喜んで箱を開ける。すると、可愛らしい人形や綺麗な洋服が現れる。その度に、瑠璃は満面の笑みを浮かべる。
あんな立派なものの後で、これを見たら、瑠璃はがっかりするかもしれない。いや、きっとするだろう。するに違いない。
あれから、透は手伝いをがんばって、いくばくかの小遣いを得た。とはいえ、子どもの小遣いだ。額はしれている。透には、人形も洋服も買えない。こうすることしか、できなかった。
しかたない……でも、あまりにみじめで、泣きたくなった。
「どうした、透。食べてないな」
秀彦が近づいてきた。
「遠慮なく食べてくれよ。鳥のからあげ、うまいぞ」
「おじさん。ぼく、帰ります。お父さんの手伝いをしなくっちゃ」
「何を言うんだい。今日は泊まっていく予定だろ。そうお父さんにも言ってあるはずだが」
「でも、うさぎの世話は、ぼくの仕事だから……瑠璃ちゃんとの約束だし」
今、別荘にいるうさぎは、昨年の夏、森で怪我していたのを、瑠璃と透が連れてきたものだった。瑠璃は、うさぎを連れて帰るといって聞かなかった。それを、透がしっかり世話をする約束をして、どうにか納得してもらったのだ。
「あの、これ……あとで瑠璃ちゃんに渡してください」
透は筒を秀彦に押し付けると、部屋を飛び出していた。
「透、待ちなさい、透!」
「お父さま、どうしたの?」
「透が帰ると言い出して、飛び出していったんだよ。この辺のことなんてわからないだろうに……ちょっと行ってくるよ。そうそう。これ、透君がお前にって」
瑠璃は筒を受け取り、中を開けた。
一枚の紙が入っている。広げると、瑠璃がいた。
色とりどりのクレヨンで描かれた瑠璃は、満面の笑みで、腕にはウサギを抱いていた。
そして、下には下手な字で「たんじょうび おめでとう」と書いてあった。
「おやまあ、これは」
「かわいらしいこと」
「子どものプレゼントだからな」
「それにしてもすごい色使いだ」
「子どもらしくていいんじゃないかしら」
瑠璃の手の中を見て、大人たちが笑った。
それは、もちろん、微笑ましいからであった。だが、瑠璃は、それがひどく気に食わなかった。
「あなたたちに、笑う権利なんてない! 透は、一生懸命、私のことを考えて描いてくれたのを、笑うなんて、許せない!」
瑠璃は絵をにぎりしめて、部屋を飛び出した。もちろん、透を追うためだ。
部屋の中が静まり返った。
「私は、瑠璃ちゃんに賛成ですね。あの絵を見て笑うとは、あなたたちは目がなさすぎる」
招待客の1人が言った。
「ところであの子はお幾つですか?」
「七歳……来月八歳になるはずです、画伯」
「そうですか。七歳であれだけ描けるならば、素晴らしい才能です。デッサン、色使い……天性のものを感じますよ。ぜひ、彼を紹介してください」
白い鬚の老人は、真剣な顔でうなずいた。
☆
「透っ! そこにいるんでしょ、透!」
瑠璃は庭の木に呼びかけた。
「わかってるのよ。だって、透は困った時、いつも木に登るんだから」
木ががさっと音を立てた。でも、返事はない。
「それなら、私がそっちに行くわよ!」
瑠璃はスカートをまくりあげた。
「やめて! 服が汚れちゃうよ」
「かまわないわよ!」
「……わかった。降りるよ」
透はゆっくりと木から降りてきた。
「ごめん……」
透はうなだれた。
「透、プレゼント、ありがとう」
瑠璃は絵を広げて言った。
「ごめん……」
「どうして謝るの?」
「だって、ぼく、そんなものしか用意できなくて……ぼく、お手伝い、がんばったけど、お金なくって……クレヨンと、紙しか買えなかった……」
「私、今日もらったプレゼントで、これが一番好きよ」
瑠璃はほほえんだ。
「いいよ、なぐさめてくれなくても……」
「ほんとよ。これが一番いいわ。だって、一番、気持ちがこもってるもの。それに、とっても可愛く描けてる。それから、ウサギも……透って絵が上手なのね。ねっ、来年も、私に絵を描いてよ。再来年も、その後も、ずーっとずーっと……お誕生日ごとに、私の絵を描くの。おばあちゃんになってもよ。私、自分の部屋に、透の絵を飾るわ。1年ごとに、1枚ずつ増えていくの。おばあちゃんになるころには、天井までもが透の絵で埋め尽くされるの。そうしたら、きっと、すっごく幸せな気持ちでいられるわ」
瑠璃は透の手を取った。
「約束してよ。ずーっと、私の絵を描いてくれるって」
「でも、瑠璃ちゃんが大人になったら、誰かと結婚するんだよ。そうしたら、ぼく、瑠璃ちゃんの絵は描けないよ……旦那さんになる人が、怒るもの」
「透が私と結婚すればいいのよ。私、透のこと大好きだもの。透は、瑠璃が嫌い?」
透は首を横に振った。
「ぼくだって、瑠璃ちゃんが大好きだよ」
「じゃあ、結婚しましょうよ」
「瑠璃ちゃんのお父さんが嫌がるんじゃないかな」
「大丈夫よ。だって、お父さまも透が好きだもの」
「そうかなぁ」
「そうよ。絶対よ。だから、大丈夫よ。だから、透は、ずっと私の絵を描くのよ。他の女の子は描いちゃダメよ。約束っ」
「うん。わかった。ぼく、瑠璃ちゃんの絵を描くよ。毎年描くよ。ずっと瑠璃ちゃんのそばにいるよ」
透は瑠璃の小指に、自分の小指をからめようとした。
だが、瑠璃はすかさず、自分の手を後ろへ引っ込めてしまった。
「ダメよ。結婚の約束だもの。指きりげんまんじゃ。結婚の約束は、誓いのキスをするものなのよ。この間、結婚式でやってた」
瑠璃は目をつぶった。
透はどきどきしながら目をつぶり、瑠璃の頬に自分の唇を軽く押し当てた。
「約束ね」
「約束だ」
二人はどちらからともなく手をつないだ。
透を呼ぶ秀彦の声が聞こえてきた。
「戻りましょ」
「うん」
「でも、まだお父さまには内緒よ」
「わかった」
二人はもう一度こっそりキスをしてから、瑠璃の父親の元へ走った。
☆
この時の絵こそが、あの有名な竹芝透画伯の七歳の時に描いた絵であり、彼の代表作「瑠璃像」の最初であった。
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